2017-12-06 第195回国会 衆議院 厚生労働委員会 第4号
女性の働きを、影法師労働というのをシャドーワークと。これも大事なんだ、つまり、子育てとか家事労働、これを評価しないで男女が分断されているということを、オーストリアの哲学者、アメリカでも活躍した人が言ったんですね。 それから、みんな経済学者ばかりに、幅をきかせていると、この人たちに任せておくと、世の中狂っていっちゃうんじゃないかと僕は思いますね。
女性の働きを、影法師労働というのをシャドーワークと。これも大事なんだ、つまり、子育てとか家事労働、これを評価しないで男女が分断されているということを、オーストリアの哲学者、アメリカでも活躍した人が言ったんですね。 それから、みんな経済学者ばかりに、幅をきかせていると、この人たちに任せておくと、世の中狂っていっちゃうんじゃないかと僕は思いますね。
今の大臣の御答弁のように動いていくことを願って、ただ、その場合に、やはり前提として、これまでの意識で家事労働はただであるというか有償化されない無償労働であるという実態があって、シャドーワークとも言われましたし、算定されない、数値化されない家事労働を何とか見える化して、これは男性でも女性でもいいんです、そのことを担う人の働きを正当に評価しようという流れが、一九九五年の北京女性会議以降、世界の中でも強くなっております
世で言うシャドーワークですね、介護とか育児とか、家庭の中でも、外に向いて働いていなくてもしっかり働いている現状があります。
ただ、大門委員もよく御存じのように、この所得税をどのように変えていったらいいのかということについては、これは相当やはり、特にクロヨンの問題だとか、あるいは不払労働というかシャドーワークというんでしょうか、こういったことも含めて、今実は大臣にもお渡ししたんですが、ベーシックインカムという考え方なども出始めておりまして、そういうものを考えてみたときに、例えば還付付きの税額控除とか、そういうものの在り方も
それで、まさにその際に、コミュニケーションというものを通貨で測ることの意味がどこまであるのかということ自体議論していかなければいけないわけでありまして、質の高い意義深いコミュニケーションというのは経済活動の中でも行われますし、非経済活動の中でも当然行われるわけでありますから、シャドーワーク、ボランタリーワークの中にもあるし、ビジネスの中にも当然あるわけであります。
この一見どちら向きにもとれる改定は、しかし、この間の介護保険のいろいろな適用でホームヘルパーさんを使えなくなる御高齢者、あるいは、非常に生活軽視の物の考え方が、私は時々厚生労働省のいろいろな方針の中にかいま見えますので、ぜひ大臣には、介護というものは、生活を最も根本に置き、そして、従来ですとシャドーワークと言われていた、多くは女性が担ってきた、あしたに向けて生活を回していくということが根本にあって行
いわゆるシャドーワークとも言われますし、アンペイドワークとも言われますけれども、大の大人の女性をそういう状況にいつまでも押し込めておくことは国としては大変な損失になると思います。 そして、やっぱり税金を納めたくても納められないということは、これは人権問題でもあると思います。
一つは、価値以前に、今までシャドーワークという形で社会の陰に隠れていた働きというものがいっぱいあったんじゃないかと思います。例えば、シャドーワークの代表的なものとして女性の家事労働というものはあったわけでございますし、あるいは家族の介護の問題等々もあったと思います。
○大脇雅子君 今まで労働というのは、時間を決めて労働力を売って賃金を得るという表の労働と、それからシャドーワークと言われるところの労働、いわばそこに回路を見出すような活動が一つNGOの活動でもあるのかなというふうに考えておりまして、とても重要なこれからの論点ではないかというふうに私なりに思うわけです。
シャドーワークの再評価ということで、命にかかわる分野で仕事をしている。家庭内でどれほど頑張っても一円の評価にもなりませんでしたが、今私たちは、一時間七百円、九百円、時間外で一時間千五十円、千三百五十円と二通りの値段で引き受けております。育児、介護、家事というのを責任を持ってやるということは非常に大変ですけれども、やりがいのある仕事だというふうに思っています。
それでもなおかつ社会的な位置づけと法制上の位置づけというものはどうなっているのか、あくまでもシャドーワークではないのかというところがずっとついて回っているわけです。